母、永眠
昭和一桁生まれの母は生真面目に生き逝った
8月14日、母は旭中央病院に入院しました。
誤嚥性肺炎でした。その治療中、母は鼻からの栄養と点滴を受けていました。治療とはいえ、手足が浮腫んでいるのは気がかりでした。
誤嚥性肺炎の治療は済んだようですが、母の嚥下機能は衰えたままでした。このまま自宅に帰ることは難しく、療養型の病院に転院することにしました。9月20日に転院しました。療養型の病院では、母に苦しんでほしくありませんでした。延命措置的なことはなにもせず、あとは自然にお任せすることを選びました。
療養型の病院で16日間、頑張ってくれました。10月5日13時9分に向こうの世界に行きました。
昭和一桁生まれの母は、第2次世界大戦中に青春時代を過ごしました。どんな青春を過ごしたのか聞いたことがありませんでした。
昭和一桁生まれの母は、働き者だと思います。畑や庭が草ぼうぼうということがありませんでした。私はすぐ草原のようにしてしまいます。こんな時母の偉大さを感じます。
向こうの世界はどんな何だろう。素晴らしい世界であってほしいな。
投稿者プロフィール
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私は、千葉県匝瑳市在住で、自然栽培で野菜を作っています、八木裕子です。
長いこと公務員をしていましたが、2012年3月に退職し、木村秋則自然栽培ふれあい塾で自然栽培について学び、現在もその自然栽培にこだわった農業をしています。
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