命の時間、誰でも生まれたときから死に向かって進んでいる事実をときに忘れてしまっている
リハビリ専門病院に転院して、元気になると思っていた
父は急性期の病院での治療をおわり、リハビリ専門病院に転院しました。2019年12月18日でした。
ここにきて、リハビリに励めば、良い結果につながりまた、一緒に暮らせるんだ、と思っていました。こちらに来てから毎月1回ファミリーカンファレンスがあります。父の現状報告があり、今後の方向性を決める、そんな話し合いの場です。
段々良くなることを期待していたのですが、聞くことはその反対の事ばかりです。
父は確かに高齢ではありますが、まだまだ元気で生活してほしいと願っていた家族にとってはつらいカンファレンスです。
しかし、命の時間を考えなければならないときを迎えつつあるのかなと思いました。
誰にでも平等に与えられている時間、スタートもエンドも平等にある
父の生き方は私たち姉妹に大きな影響を与えてくれたと思います。
何事にも一生懸命だった父、自分の生きたいように生きることができたかどうかは、疑問の残るところですが、長男として生まれた父は農業者として生きることになりました。
父が農業をしていたから、私も退職後は農業をすることができて、とても感謝しています。私はご飯が大好きです。それは多分、小さい頃から自分ちで作った米を食べるのが当たり前だったからだと思っています。美味しいお米を小さい頃から味わってきました。だからか、外で食事をするとき、ご飯がまずかったりすると二度とそのお店には自分からは行きません。
ご飯を美味しく食べられないお店はその他も気を抜いていると思っています。
話がそれてしまいました。
父の後ろ姿をみてきた私たち姉妹、何かをするときに、決して父が悲しむことはしないということが一つの行動規範になっていたのかなと思っています。
人は生まれてから死にぬ向かって歩いています。私も私の妹たちも。そして両親もそうです。
しかし、それが自然の摂理だからと言って、人というのはやっかいなものです、自分の親についてはなかなかそれを受け入れることが難しいのです。
きょうの記事はまったくまとまりがありませんが、自分の中のもやもやを記録として残しておきます。
投稿者プロフィール
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当ブログを訪問してくださりありがとうございます。
私は、千葉県匝瑳市在住で、自然栽培で野菜を作っています、八木裕子です。
長いこと公務員をしていましたが、2012年3月に退職し、木村秋則自然栽培ふれあい塾で自然栽培について学び、現在もその自然栽培にこだわった農業をしています。
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