友情について 僕と豊島明彦君の44年 佐藤優 著 浦和高校時代の親友の膵臓がんステージⅣを知った佐藤さんが、彼とともに、この本を執筆しました。

浦和高校時代の親友の膵臓がんステージⅣを知った佐藤さんが、彼とともに、この本を執筆しました。

やっと、この本を読み終えることができました。著者は佐藤優さん、執筆協力者は親友の豊島明彦さんです。

この本のはじめにでもかかれているように、2018年5月に浦和高校の同窓生が集まる機会があり、40年ぶりに豊島明彦さんと再会したそうです。それから5か月後、本人からのメールで膵臓癌ステージⅣであることを知らされました。

そこで、佐藤さんが、豊島さんの生きた時代を、家族、職場の同僚や部下、家族に伝えたいことを書くことで、豊島さんの人生を文字にしないかと提案したそうです。

その結果、できたのがこの本です。

生きることにまじめに取り組んだ人の人生を読むことができました。

バブルがはじけて、経済が停滞した時代を懸命に生きた人の人生を垣間見ることができてこの本を世に出してくれた佐藤さんに感謝しました。

豊島さんが大学をでて、日本債券信用銀行に就職し、当時の普通の感覚として、そこで定年まで勤めあげると思ていたと思います。

しかし、安泰といわれていた銀行も経営破綻、あおそら銀行となり、外国人が上司となりましたが、その意思疎通の難しさ、転職先のゆうちょ銀行の組織文化の違いに戸惑い、パワハラ上司に遭遇してしまったことなど、そして我慢の限界を超えたときに、次の職場について声をかけてくれたところがありそこの面接を受け、内定した矢先にがんであることがわかったこと、豊島さんの人生、波瀾万丈でした。

私は、豊島さんを苦しめたパワハラ上司に腹がたちました。しかし、そんな人生の災難も経験の一つと言い切れる人はすごいなと思いました。

私は、これを読んでいて、あおぞら銀行時代の外国人上司にも腹が立ちましたが、ゆうちょ銀行時代のパワハラ上司について、もっとも腹が立ちました。しかし、この本は、そういうことも生きていく上では遭遇する、理不尽なことにはどのように対処して生きたほうがいいか、そのようなことをいろいろ考えさせてくれます。

豊島さんは、とてもまじめで真正面から困難に取り組んでいく人だと感じました。誠心誠意、事にあたる人だと読んでいてよくわかります。

あおそら銀行になって外国人上司がきます。日本人行員に対する態度が悲しいほど否定的です。どうして、このような人たちが上司として送り込まれてくるのでしょうか? 日本の銀行と監督官庁との関係も知ろうともせず、トラブルが発生しても解決することもできず、全体を理解できないのに、権限があるからと行員をリストラする。このことが怒り心頭に達した豊島さんを転職に向かわせました。

ゆうちょ銀行へ転職したはいいけど、もともとは郵政省でした。官の組織文化が染みついていて、民間で無駄な仕事などする時間のない組織で働いていた人にとっては、その文化になじむことは困難を極めたようです。

そして、パワハラ上司、直属の部下を上司にすえるという意地汚いやりかたで豊島さんを苦しめます。

しかし、どんな困難な場面に遭遇しても、真摯にことにあたれば、いい経験だったと思えることも、豊島さんの行動と言動は示してくれます。

佐藤さんも根がとてもまじめです。しかし、パワハラ上司に遭遇したときの対処は、豊島さんとはちょっと違っていたようです。

これらの事例を交えながら、佐藤さんは、読者にどんな状況になっても、それを切り開く方法はあることを伝えたいと思いました。また、豊島さんの子供さんにお父さんは、筋をとおした人生をおくったんだということを伝えたかったのではないかとも思いました。

ご家族が読んだら、もっと深いところで理解するのでしょうね。

しかし、まったく関係のない私が読んでも、豊島さんの人生は大変なことも多かったけど、自分の軸をもち、ぶれない人生だったからこそ、前を向いて進んだ天晴れな人生だと思いました。。

佐藤さんはできるだけ冷静に書こうとしていたと思います。それでも親友への気持ちが溢れる本だと感じました。

豊島明彦さんは2019年5月31日、天国に旅立ちました。

豊島さんは、今は亡き人になってしまいました。佐藤さんのメルマガで知りました。

人生の最終コーナーを佐藤さんと駆け抜け、別の世界に旅立ちました。

合掌

投稿者プロフィール

八木裕子
八木裕子
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私は、千葉県匝瑳市在住で、自然栽培で野菜を作っています、八木裕子です。

長いこと公務員をしていましたが、2012年3月に退職し、木村秋則自然栽培ふれあい塾で自然栽培について学び、現在もその自然栽培にこだわった農業をしています。

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