南杏子著『サイレント・ブレス 看取りのカルテ』を読んで、愛する人とのさよならを追体験した

医師で作家の南杏子さんのデビュー作『サイレント・ブレス 看取りのカルテ』

ちょうど終末期の医療についてドクターが書いた本を読んでいたときに、この事件が起きました。

テレビで知ったそれは、92才の母親を亡くした男性が、その母の元へ訪問して医療等提供してくれていた人たちを呼び出し散弾銃で医師を殺害し、他の人たちにも危害を加えたという事件です。

https://www3.nhk.or.jp/lnews/saitama/20220129/1100013366.html

92才の母親を介護していた男性がどんな人なのかは、よくは分かりません。ただ、ニュースなどから察するに、母を深く愛していたこと、医療に対して何かしらの不満を持っていたこと、自分の思いどおりに行かないと感情をコントロールできないこと、周囲に介護について語り合える人が誰もいなかったのではないか、そんな事を思いました。

『サイレント・ブレス 看取りのカルテ』は、訪問診療で人生の最後を迎える人と過ごしてきた医師の目線で書いた本だと思います。私はオーディオブックで耳からこの小説を聞いていました。

終末期、人もだんだん弱り死に至る、その真実を受け入れて見送る事がなかなか困難な事であることをこの小説は語っているように思います。

この小説に出てくる医師自身の父との終末期が書かれています。医師としての視線と娘としての視線、愛情がある分、娘としての視線からの行動が優先します。出来るだけ長生きしてと。しかし、その思いは父に苦痛を与えているのではないか? 医師としての視線、最終的に医学的な手段はやめ、自然にお任せしました。

他にも看取りのカルテには何人も登場します。

人は誰でも死ぬという真実

自分にとって身近な人の死は、受け入れるにはそれなりの時間がかかると思います。

人が亡くなると、通夜、火葬、告別式などを行います。亡くなったことを悲しむ余裕もなく一連の行事が進みます。

私は、これは一つの慰めとなる事を父が亡くなったとき感じました。

父が亡くなってからお墓と仏壇がとても身近になりました。そして、何かをするときに父はどう思うのだろうと考えます。父はこの世にはいませんが、今も存在を感じながら生きています。

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投稿者プロフィール

八木裕子
八木裕子
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私は、千葉県匝瑳市在住で、自然栽培で野菜を作っています、八木裕子です。

長いこと公務員をしていましたが、2012年3月に退職し、木村秋則自然栽培ふれあい塾で自然栽培について学び、現在もその自然栽培にこだわった農業をしています。

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