2020年12月7日 東日本大震災の地を訪れる

10年前のあの日

2011年3月11日(金)私は、午後休暇を取り成田空港に車を走らせていました。途中大きな揺れを感じましたが、空港の近くの予約を入れてある駐車場を目指していました。

駐車場へ行くと、手続きを済ませると空港まで送ってくれる小型バスが一向に発車しません。

空港が停電しているという情報が入りました。地震は何度もあり不安でした。

結局その日は飛行機が飛ぶことができませんでした。先に空港に行ってた友人が私のいる駐車場に来てもらう事にして、来るのを待ちました。友人がこの駐車場の車で空港から出ることができました。

かなり時間が経っていました。

近くのホテルで夕飯を取ることにしました。ホテルなら遅い時間でもオープンしていると思ったからです。

ホテルに着くと様子がいつもと違っていました。

ロビーの大きなスクリーンに津波の映像が映っていました。東北地方で大きな地震があったこと、津波が沿岸地域に襲いかかったことを知りました。

このホテルは避難所となっていました。食事も無償で提供されていました。ありがたくいただきました。ANAホテルでした。

自宅に急ぎました。帰りの道中信号が動いていませんでした。停電です。

2020年12月7日 東日本大震災で被災された地を訪れる

大里綜合管理(株)の会長の野老真理子さんにお誘いいただき、総勢4名で野老さん運転、解説付きのなんとも贅沢なプチツアーに出かけました。朝4時に東金を出発しました。

福島県に入ると、東京方面に向かって多くの鉄塔と送電線を沢山見かけました。

最初に大川小学校に行きました。

南三陸防災庁舎へ行く途中、川の護岸工事をしている所を多く見ました。生態系が保たれますように。

南三陸防災庁舎

南三陸防災庁舎の近くで見た橋。隈研吾設計じゃないかな?

双葉町では、まだ帰宅が許されていないので、このように道路から住宅に続く道が封鎖されている。

今回の旅の目的は、東日本大震災から10年経ったかの地を見て何を学んだか?でした。

危機に敏感になる事。

危機に直面したら命最優先で行動できるようになる事。

そうできるように、普段から考え、行動できるように、体に落とし込む事。

そんな事を思いました。

しかし、あのような大きな地震と津波が来たら動転してしまい動けなくなってしまう自分のほうが容易に想像できてしまいます。

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投稿者プロフィール

八木裕子
八木裕子
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私は、千葉県匝瑳市在住で、自然栽培で野菜を作っています、八木裕子です。

長いこと公務員をしていましたが、2012年3月に退職し、木村秋則自然栽培ふれあい塾で自然栽培について学び、現在もその自然栽培にこだわった農業をしています。

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