どんなことがあっても人生は素晴らしいと思いたい

療養型の病院に転院してからのこと

今年の5月12日に、父は療養型の病院に転院しました。転院するときも新型コロナウイルスの関係で、転院前の病院でも3月末以降父に病室で会うことはできませんでした。しかし、洗濯ものをとりに周2回ほどは行っていました。ここでは、基本毎日着替えてくれました。また口腔ケアもそれなりにしてくれていたなと思いました。面会に行けなくても舌が炎症を起こしていることはなかったからです。

療養型の病院に転院してから6月末日までは直接会うことはできませんでした。ただ6月5日に父とWeb面会ができて、元気そうな父と会えてすごくうれしかったです。

7月にはいってから直接病室に行けるようになりました。7月にはいってからは毎日行っています。といっても、まだ1日(水),2日(木),3日(金)の3日間だけです。土日は面会ができません。残念です。

病室に行けるようになって、いろいろ気づいたことがあります。

洗濯ものの交換で週2回は行って、屋外のドアで洗濯物を受け取るときに、父は元気かどうか聞くだけしかできなかったのですが、「お変わりなく元気ですよ」とは言ってくれていたけど・・・。

父の表情はなくなっていたし、ベッド上でうつらうつらしていたし、舌の炎症が痛々しそうで・・・。

足のマッサージをしたときに、足の指3本ほどにくっきりと線のような跡があったりと、今までの病院ではみたことのないようなことがありました。言語と嚥下に障害がでているので、自分の身に起こったことを話すことができません。

想像すると悪い方向に考えてしまいそうです。ちょうど足のマッサージをしているときに、薬の用意をしてきたナースがいたので、足指にのこっている線のような跡のことをききましたが、真剣にそれを受け止めてくれたようには感じられませんでした。

ナースステーションのナース責任者の方に話してみようと思います。

終活、私自身はどう迎えたいのかを考えます

父の人生ののこり時間を快適なものにしたいと考えています。身体的な痛みは取り除いてあげたい。できるだけ面会に行きたい。父と言葉は交わせなくても、マッサージをしたりして父と交流したいと思っています。

私自身も終活を考えてエンディングノートに書ける部分を記入しておく必要があると感じました。

できるだけ病院のお世話にはなりたくないけど、それは自分ではどうしようもない事のように思います。その時は運を天に任せるしかありません。ただ無駄な延命措置は拒否したいと思っているので、そのことは明確にエンディングノートに書けます。

我家は私の後に続く人がいないので、家のことお墓のことなど、どうするかを明確にしておく必要があります。妹たちとも相談して決めておきたいと思っています。

『どう逝くかはどう生きるかだ』どこかで読んだ本に書かれていた言葉だと思います。そして甚く納得しました。

投稿者プロフィール

八木裕子
八木裕子
当ブログを訪問してくださりありがとうございます。

私は、千葉県匝瑳市在住で、自然栽培で野菜を作っています、八木裕子です。

長いこと公務員をしていましたが、2012年3月に退職し、木村秋則自然栽培ふれあい塾で自然栽培について学び、現在もその自然栽培にこだわった農業をしています。

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