離島発 生き残るための10の戦略 山内道雄 著を読んで

石川県羽咋市の物語と通じるものがある

この本は、島根県隠岐諸島(おきしょとう)の中の島にある海士町(あまちょう)の町長さん、山内道雄さんが書いた本です。

平成の大合併に、合併しないことを決め(合併することのメリットを見出せる地域ではなかったということ)、合併をした場合の財政的なメリットを受けることもなく、海士町が自力で地域の活性化に成功した、そのことについて書いてある本です。

石川県羽咋市のことと通じつるなと思いながら読みました。

トップの覚悟が行政を変えた

企業のトップは、海士長生き残りに短期的には厳しい状況を受け入れ、しかし、海士町の人々が最終的に、これでよかったと思ってもらえるように行うことを覚悟したのでした。

ひとづくり、ものづくり、健康づくりを3本の柱にして海士町は生き残りをかけて再出発することになりました。

方向性を明確にし、職員と痛みを共に分け合って(市長のお給料も職員のお給料もかなり引き下げました。)この海士町が生き残るために、必死に仕事をしました。

 行政≒企業

行政はとかくお役所仕事とか言われ、民間企業で働く人びとからは、あまりいい印象は持たれないように思います。

どこか生ぬるいと思われてしまうのだと感じます。海士町の山内町長は、海士長は、自分を中小企業の社長と位置づけ、こも海士町という企業の価値を高めるには具体的に何ができるかを考えました。

海士町にいたら、当たり前のことでも、他の地域から見ると、とても価値のあるものに見えることがあります。それをみつけて、商品化し、ブランド化し、人をよぶ、そのような展開になっていきました。

海士町ではあたりまえの、サザエカレーの商品化をして、成功しました。

次にいわがきのブランド化の成功、そして先進的な冷凍技術への投資と、いわがきはじめた、他の水産物も海士町の特産品として高値でうられるようになりました。これで水産業に従事する人たちの収入が安定してきました。

塩もブランド化にも成功します。塩が専売性になる前は、島で作っていたとのこと、そしてここには日本名水百選に選ばれたほどの水があることで、昔ながらの釜だき塩づくりを復活させたのです。

一人の有志の方が始めた肉用の牛、これもブランド化に成功、そして勝負をするところは東京市場、ここの強豪に勝てなければ生き残れないというがけっぷちでの挑戦です。だって島からの輸送コストなど考えるとそこそこの利益ではだめなのです。圧倒的な利益が出て、黒字化が可能なのです。このようなこともクリアー。

また、カットしたお給料は町の未来のために使うということで、商品開発研修生を全国から募集したのでした。

その要望は「この島の宝探しをしてください。一年間の成果をレポートで提出してください。」

やり方はあなたの自由です。月15万円支給します。

めちゃくちゃ、太っ腹だと思いました。冷静に考えると、クリエーティブなことを要求している時に、なんだかんだと制約をつけてもいい結果はでないものです。自由にやらせてもらえるからこそ、自分でいろいろ考えられるのですね。

この中の話で、島にあるふくぎ茶の商品化に向けて福祉作業所の人たちといしょに勧めていきました。外の人の発想は、協力できるところとは協力してやって行こうということだったのです。島の人たちは福祉作業所の人たちには〇〇のような仕事をしてもらうものだという固定観念があったことを逆にしらされたエピソードとしてのっていました。

研修生は、その後も島に残ったり、起業したり、定住したりして島との関係を続けている人がいます。

私は研修生の話が一番感動しました。お金の使い方が上手だなと思いました。未来への投資の一部ですが、日本全国の若者に声をかけてみたというところが、素晴らしいなと思いました。そして自由に自分のやり方で島の宝を探してほしいという指示の仕方も。

 どんなことでも成功のカギは同じと思う

島根県海士町の山内町長、石川県羽咋市の一公務員、二人はその場所をどうにかして残すんだという強い決意がありました。だから決してあきらめるといことをしないで、進んで行けたんだとわかりました。

いうこととやっていることが一致していました。周囲も協力せずにはいられなくなったのだと思います。

いい本に出会いました。

投稿者プロフィール

八木裕子
八木裕子
当ブログを訪問してくださりありがとうございます。

私は、千葉県匝瑳市在住で、自然栽培で野菜を作っています、八木裕子です。

長いこと公務員をしていましたが、2012年3月に退職し、木村秋則自然栽培ふれあい塾で自然栽培について学び、現在もその自然栽培にこだわった農業をしています。

詳しくはこちらをご覧ください。