米沢富美子 著 「二人で紡いだ物語」を読んで。その2
米沢さんのパワーを全開にした夫君の貢献
米沢さんと夫君は、お互いを大切にしながら対等なパートナーシップを築いていたと思います。
大学生のときに出会った、未来の夫となる人にプロポーズされたとき
物理を一生の仕事にしたいと考えていた米沢さんは、結婚して家庭のことをすることは、厳しいと考えていました。そのとき、未来の夫君は
「僕のお嫁さんになることと、物理をすること、両方選べばいいじゃない。」と言われたようです。
米沢さんは、その言葉に、やりたいことは、なんでもやっていいんだ。と、心が軽くなったと書いてます。
自分のやりたいことをする自由を得たのだ。そのための責任や困難、何でも引き受けてやろうじゃないの‼︎
そのような意味のことも書かれています。
米沢さんは、もともと自由な発想の持ち主だったんだろうと思いますが、夫君になる人のその言葉で、それからの人生、どんなことが起きても、自分の望むことに対しては、どんな困難も引き受けて、成果を出してきたんだなと、この本を読んでいて理解しました。
米沢さん、昭和13年生まれです。夫君は3歳年上と書いてありましたから、昭和10年生まれだと思います。その時代に生まれたお二人なのに男女平等は当たり前だし、お互いを尊重しあい、信じあって人生を生きてきたことがこの本からわかります。
それから、米沢さん、何度もがんの手術を受けています。
2度目のがんの手術を受けたのが45歳のときでした。そのときの米沢さんの言葉に私は圧倒されました。
本書から引用します。
私は四十五歳だった。人の三倍くらいの密度で生きてきたから、もう百歳を超えたといってもよい。できることなら三女が成人するまでの数年がほしいし、もちろん長生きもしてみたい。しかし基本的には一期一会の覚悟で、毎日を丁寧に大切に生きていけばよい。そう考えるようになっていた。
化学療法も放射線治療も受けなかった。
がんになったことに対して、大げさではなく、自分の人生充実していたから、もし死ぬようなことがあっても、それはそれでしょうがないか、そんな突き抜けた明るさのようなものを感じました。
人生をどう生きているか、生きてきたかで、自分の人生に重大なことが起こっても、人は案外冷静で、楽観的になれるのかもしれません。でも、米沢さんだからできたことかな?
米沢夫妻の在り方が感じられるから、この本が好きなんだと思う。
この本は、何回か読んでいます。
米沢夫妻の、在り方、価値観、行動力、そのようなことに、読むたびうんうんと感じながら読んでいます。
米沢さんは理系の科目が得意で仕事にいかし、かつお互いを高めることができる人間関係を夫婦で築いていました。
この本を読むと、視界が開けるような気持ちよさがあるのです。この本、すごく好きです。
投稿者プロフィール
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私は、千葉県匝瑳市在住で、自然栽培で野菜を作っています、八木裕子です。
長いこと公務員をしていましたが、2012年3月に退職し、木村秋則自然栽培ふれあい塾で自然栽培について学び、現在もその自然栽培にこだわった農業をしています。
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